〈 minolta miniflex 〉 は、1959年9月に当時の 《 千代田光学精工 株式会社 》 から発売された 127フィルムを使用する二眼レフカメラです。
127フィルムは、軸棒に63㎜ 幅のフィルムが遮光紙と一緒に巻き付けられたロールフィルムの規格で、 〈 minolta miniflex 〉 はこのフィルム上に 41㎜ × 41㎜ の画面サイズで撮影する 「 4 × 4 」 フォーマットの製品です。
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- 「 4 × 4 」 判フォーマットである事を示した『 44 』が製品のパッケージにデザインされています。
- 底箱の側面には127規格のフィルムを用いた小さなサイズの二眼レフカメラである事を示した『 BABY SIZE REFREX CAMERA 』の表記があります。
製品名を〝 Babyflex 〟とせずに〝 Miniflex 〟とした所以を知る由もありませんが、いずれにしても小さなサイズである事を表現したネーミングは、二眼レフ機が主力製品の一つとなっていた同社ならではのものだと思えます。
- 「 4 × 4 」 判フォーマットである事を示した『 44 』が製品のパッケージにデザインされています。
- 底箱の側面には127規格のフィルムを用いた小さなサイズの二眼レフカメラである事を示した『 BABY SIZE REFREX CAMERA 』の表記があります。
製品名を〝 Babyflex 〟とせずに〝 Miniflex 〟とした所以を知る由もありませんが、いずれにしても小さなサイズである事を表現したネーミングは、二眼レフ機が主力製品の一つとなっていた同社ならではのものだと思えます。
〈 minolta miniflex : ミノルタ ミニフレックス 〉 は、1959年に当時の 《 千代田光学精工 株式会社 》 の製品ラインナップ上に突然現れた 127フィルムを使用する「 4 × 4 」 判の二眼レフ機です。
アメリカ市場を重要視していた 《 千代田光学精工 株式会社 》 が、競合他社の動向と市場のトレンドとに敏感に反応した事が発売の背景となっています。
1950年代にはスライド映写での写真観賞が一般的なものになっていたアメリカでは、35㎜ 判のスライドマウントの面積を大きく使って映写する [ super slide : スーパースライド ] が人気となり、「 4 × 4 」 フォーマットで撮影する機材が受け入れられる素地がありました。
ドイツの 《 FRANKE & HEIDECKE : フランケ & ハイデッケ 》 社が 1957年に発売した、127フィルムを使用する 「 4 × 4 」 判の二眼レフ機 〈 Rolleiflex 44 〉 は、アメリカだけでなく日本国内でも注目を集めます。
日本国内では、翌年の 1958年に 《 株式会社 ヤシカ ( 1958年に《 八洲光学精機 株式会社 》から商号変更 ) 》 が他のメーカーに先駆けて 〈 yashica – 44 〉 を発売して市場をリードします。
1956年からアメリカ市場への進出を開始した同社は、1957年に販売子会社の《 YASHICA INC. : ヤシカ社 》 を設立しており、〈 yashica – 44 〉 をアメリカ市場に投入して実績を上げます。
そのあとに続くようにして、アメリカでの需要を見込んだ多くのメーカーが相次いで同フォーマットの製品を製造しています。
国内外の多くのメーカーが製造する二眼レフ機の形態は、《 FRANKE & HEIDECKE 》 社の 〈 Rolleiflex : ローライフレックス 〉 や 〈 Rolleicord : ローライコード 〉 を倣ったものになっています。
そのスタイルは二眼レフ機のスタンダードのようになっていて、 《 千代田光学精工 株式会社 》 が製造する二眼レフ機も同様です。
〈 Minoltaflex( I )〉
- 1937年発売の〈 Minoltaflex( I )〉は国内メーカーが製造した最初期の二眼レフ機であるとされています。
〈 Minoltaflex( I )〉
- 1937年発売の〈 Minoltaflex( I )〉は国内メーカーが製造した最初期の二眼レフ機であるとされています。
〈 minolta miniflex 〉 も基本的には同じスタイルを持つ製品ですが、同社が製造している 120フィルム規格の製品を単純に 127フィルム仕様にスケールダウンした製品にはなっていません。
アイレベルでのフレーミングではタテ型の本体をヨコ向きに保持する撮影スタイルとなり、小型である事と正方形の撮影フォーマットである事が活かされたオリジナリティのある仕様です。
本体をヨコ向きに保持するアイレベルでのフレーミング用には、アクセサリーシューに装着する専用のスポーツファインダーが設定されています。
アクセサリーシューは本体の両側面にありますが、スポーツファインダーの取り付けは右手側です。
本体を凹ませて設けられたアクセサリーシューはボディーの面とフラットで、折りたたみ式のスポーツファインダーは専用アクセサリーならではの一体感がある装着をする事が出来ます。
専用のスポーツファインダーは右手側のアクセサリーシューにのみ装着する事が出来る仕様ですが、アクセサリーシューそのものは通常の規格になっていて、各種アクセサリーを装着する事が可能です。
スポーツファインダーの前後2つのフレームは折りたたみ式です。
着脱は、スポーツファインダーの底板にある2つの穴をアクセサリーシューの後ろに付いている2つの突起に掛かる位置に合わせて、ロックダイヤルを回して行います。
スポーツファインダーには、本体のネックストラップに通して付けられる専用のケースが用意されています。
レンズカバーと本体のケースも、それぞれ色調が合わせられた専用のものが設定されています。
– 画像左 –
〈 Minoltaflex( Ⅲ )〉
1954年発売– 画像右 –
〈 minolta miniflex 〉
1959年発売
〈 Minoltaflex( Ⅲ )〉
1954年発売
〈 minolta miniflex 〉
1959年発売
同社の120フィルム仕様の〈 Minoltaflex 〉ではフォーカシングノブと巻き上げノブはどちらも本体側面の右手側にありますが、〈 minolta miniflex 〉ではフォーカシングノブが左手側にあるレイアウトです。
〈 minolta miniflex 〉 の巻き上げノブは接地面ギリギリとなる下の方にありますが、この位置は [ 上 から 下 ] に向かって送られるフィルムの巻き取り軸上にあたります。
一方、〈 Minoltaflex : ミノルタフレックス 〉 のフィルム送りは [ 下 から 上 ] 方向で、巻き上げノブは上の方に位置しています。
〈 minolta miniflex 〉 のフィルム送りが 〈 Minoltaflex 〉 とは逆向きの [ 上 から 下 ] にされているのは、撮像面でのフィルムの平面性を改善する事を目的として、 《 千代田光学精工 株式会社 》 が1955年に発売した 〈 Minoltacord AUTOMAT : ミノルタコード オートマット 〉 以降の二眼レフ機に採用した構造です。
フォーカシングノブが左手側となっているレイアウトには、スポーツファインダーを右手側に取り付ける為の必然性が見て取れます。
巻き上げノブが縦置きでの接地面ギリギリの位置にある事で、右手側の側面にはアクセサリーシューの周りに大きなスペースが確保されています。
フィルムの平面性を高める為の構造が結果として、本体をヨコ向きにホールドして行うアイレベルでの撮影スタイルを実現する上で、望ましい巻き上げノブの配置につながっています。
シャッターボタンは、ヨコ向きにホールドした時に右手人差し指でタテに押し込める配置となります。
本体をアイレベルに保持してレリーズするスタイルは、小さなボディサイズとも相まってロールフィルム使用の二眼レフ機ではなく 35㎜判のビューファインダー機のようになります。
左手側の側面には、フォーカシングノブの基部にある距離表示と合わせて読む被写界深度目盛があります。
フォーカシングノブの側面にある表示は、使用するフィルムの種類と感度をガイド表示させるためのものです。
スライドするディスク状のプレートがはめ込まれていて、表示を回転させて指標となる赤いドット状のマークに合わせて使用します。
- 背面にあるフィルムのコマ数を確認する赤窓は、円盤状のプレートを回転させて確認します。
- プレートの回転にはバネが効いていて、自動で元の位置に戻るようになっています。
- 裏紙に記された数字を赤窓で確認するのは1枚目の位置合わせの際だけで、自動巻止めが働く2コマ目からは側面のフィルムカウンターで撮影コマ数を確認します。
フィルムの巻き上げは自動巻止め機構を備えていますが、1枚目のコマ送りの位置合わせを赤窓で行う 「 セミオートマット 」 です。
巻き上げと同時に シャッターチャージ ( コッキング ) が行われる機構 ( セルフコッキング ) はなく、独立したコッキングレバーによりシャッターをセットしますが、シャッターをリリースするまで巻き上げが出来ない二重露光防止機構を備えています。この仕様は、 「 フルオートマット 」 , 「 セルフコッキング 」 を実現している上級モデルと比較すればフルスペックとはいえないものの、ロールフィルムを用いる製品としては中級機以上といえる機構で、 「 4 × 4 」 フォーマットで先行していた他の国内メーカーが製造する製品と同等かそれ以上のスペックです。
ファインダーフードは本体に直接組み込まれています。
本体に取り付ける為のフレームにファインダーフードを組み込んでいる、同社の製品を含めた他の二眼レフ機とは構造を異にしています。ファインダーフードを取り付けるフレームだけでなく、三脚取り付け用のネジ穴部分も含めた本体が、一体でダイキャストによって形成されています。
ファインダーフードの構造については発売時に従来の製品と違う点として紹介されていて、 『 ファインダースクリーン内の反射鏡部にホコリが侵入するのを防ぐ事が出来る 』 としています。
底板となる部分に三脚穴を設ける必要がないL字型の裏蓋は、そのロック機構もシンプルで簡素なものにする事が出来ています。
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搭載するシャッター 『 OPTIPER CITIZEN MVL 』 は、 B ( バルブ ) , 1 ~ 500 ( 1 / s ) の倍数系列を等間隔の操作で設定出来るスペックを持つ 《 シチズン時計 株式会社 》 製造のレンズシャッターです。
このスペックは、 《 千代田光学精工 株式会社 》 の製品では 1958年発売の 〈 minolta auto wide 〉 が、そのリリース広告に〝 日本ではじめての本格的ライトバリューシャッター〟と掲げた 『 CITIZEN MVL 』 を搭載する事によって実現しています。
フロントカバーの左右には開口部があり、シャッター機構とつながっているダイヤル状のホイールの一部分が露われています。
左右のホイールにはそれぞれシャッター速度と絞りの設定値が記されていて、右手側のホイールがシャッター速度表示で、左手側が絞り表示です。
本体正面のフロントカバーの化粧板には、撮影レンズの外周を装飾するような黒色の縁どり模様があり、左右対象の凸状になった部分がそれぞれ、シャッター速度と絞りの指標になっています。
フロントカバーの開口部に向いている指標が、ホイールに記されている設定値を指示します。
撮影レンズの真下には独立した開口部が一つあり、設定されている 『 Light Value( LV ) : ライトバリュー( 光値数 ) 』 を表示する窓になっています。
エプロンの下に出ている左右2つの操作レバーはそれぞれ、左手側がシャッターチャージ用のコッキングレバー、右手側がシャッタースピード変更用のレバーです。
シャッター速度は、エプロン部分の下から出ている2つあるレバーのうちの右手側のレバーを用いて設定します。
レバーは撮影レンズと平行に操作し、同時にシャッター速度表示のあるホイールもスライドします。
指標となる黒色の凸起模様の位置に、ホイールの速度表示を合わせて任意のシャッター速度に設定します。
絞りの設定操作は、設定値の表示となっているホイールそのものをダイヤルのように操作して行います。
ギア状になったホイールの側面を指の腹で押さえて表示をスライドさせ、シャッター速度と同じようにフロントカバーに印された指標に表示を合わせて設定を行います。
シャッター速度と絞りとは別に、その組み合わせによって設定される 『 Light Value( LV ) : ライトバリュー 』 を表示する窓が設けられています。
表示窓はフロントカバー正面の撮影レンズの下側に設けられた開口部で、赤い文字で記された順序数が LV( ライトバリュー )です。
シャッター速度の設定変更によって窓内で左右にスライドするホイールと、絞りの設定変更によってメーター針のように動作する指針が相互に動いて、一段ずつ変化するライトバリューを表示する仕組みです。
《 千代田光学精工 株式会社 》 がアメリカへの輸出に向けて駐在員を渡米させたのは 1954年の事で、 〈 minolta miniflex 〉 が発売される5年前に遡ります。
その際に持ち込まれたのは、120フィルムを使用する「 6 × 6 」判の2眼レフ機 〈 Minoltaflex 〉 とセミ判のスプリングカメラ 〈 Semi MIinolta 〉 、16㎜フィルムを使用する 〈 Konan-16 〉 、そして35㎜ フィルムを使用する 〈 Minolta 35 〉 で、代理店との販売契約を目指した交渉が開始されています。
そのフィードバックにより翌年には、120フィルムを使用する「 6 × 6 」判の 2眼レフ機 〈 Minolta AUTOCORD 〉 と、35㎜ フィルムを使用するレンズシャッター機 〈 Minolta ・A・ 〉 が、それぞれ当時日本国内では殆ど普及していなかった 「 エレクトロニックフラッシュ 」 が使用出来る 「 X 接点 」 に対応したシャッターを装備して投入されています。
その後 1959年までには、以降の展開の方向性を示すラインナップへと、同社の製品構成が変化を遂げていきます。
- 120フィルムを使用するセミ判のスプリングカメラは、製品ラインナップ上から姿を消しています。
- 16㎜フィルムを使用する製品では、 〈 Konan-16 〉 をモデルチェンジした 〈 minolta 16 〉 が製造されて、その後シリーズ化されて行きます。
- 35㎜フィルムを使用するフォーカルプレーンシャッター機では、距離計搭載の 〈 Minolta 35 〉 シリーズの展開が 1958年発売の 〈 minolta 35 Ⅱb 〉 を最終モデルとして打ち切られ、研究開発を一眼レフ機へとシフトして製造された 〈 SR–2 〉 が同年に発売されました。
- 35㎜のレンズシャッター機では、 〈 Minolta ・A・ 〉 とそのスペックアップモデルによるシリーズ展開の他、このサイトで紹介している 〈 minolta auto wide 〉 によってオートマチック機への道筋が開かれています。
1959年に 《 千代田光学精工 株式会社 》 が新発売として販売した主な製品は 〈 SR-1 〉 , 〈 minolta A3 〉そして、ここに紹介している 〈 minolta miniflex 〉 です。
1959年発売の3機種
〈 SR-1 〉〈 minolta miniflex 〉〈 minolta A3 〉
〈 SR-1 〉 と 〈 minolta A3 〉 は、アメリカ市場でのシェア拡大を目指した製品戦略と研究開発に沿った製品になっています。
〈 SR-1 〉 は、前年の 1958年に発売された 〈 SR-2 〉 の普及型として登場したモデルで、フォーカルプレーンシャッター機の主力製品を一眼レフへとシフトした同社の製品展開を強化するモデルでした。
〈 minolta A3 〉 は35㎜フィルム規格のレンズシャッター搭載機で、エントリーモデルとして展開されていた 〈 Minolta ・A・ 〉 シリーズを置き換えるスペックを持った新しいスタイルの製品として登場しています。
そして、 〈 minolta miniflex 〉 は前述した市場の動向を背景に、新たなカテゴリーの製品としてラインナップに加えられたモデルでした。
しかし、アメリカとは異なりスライド映写による写真観賞が普及していない日本国内での 「 4 × 4 」判二眼レフ機の人気は限定的で、その後 1959年頃をピークにした一過性のものとなった他、アメリカ市場においては同社が戦略製品として開発した一眼レフ機 〈 SR-1 〉 の投入とも重なり、日本国内でもアメリカにおいても本格的に展開される事はありませんでした。
こうして、 〈 minolta miniflex 〉 は 《 千代田光学精工 株式会社 》 が市場の動向に素早く反応して投入した製品であったものの、投入された時と同様の素早い判断によって製造が打ち切られています。
1959年7月発売
〈 SR-1 〉
〈 SR-1 〉は、前年の1958年に発売された〈 SR-2 〉の普及モデルとして登場した製品です。
《 千代田光学精工 株式会社 》がそれまで展開してきた35㎜フィルム判のフォーカルプレーンシャッター機は、ライカスクリューマウントの距離計連動式カメラ〈 Minolta 35 〉シリーズでしたが、一眼レフ式への転換を図り専用バヨネットマウントのシステムカメラとして登場したのが〈 SR-2 〉です。スポンサーリンク
「 シャッターダイヤル 」と「 絞りリング 」には、それぞれの設定値に対応するLV( Light Value : ライトバリュー )の数値が記されています。
〝 シャッター速度 〟と〝 絞り 〟それぞれのLV値を合算して、撮影設定のLVを把握出来る仕組みです。
トップカバーに、シャッター速度のLV値の指標になる点 •が、LV の表記と共に黄色くマークされています。
絞りリングのLV表記は絞り値の下に黄色で併記されています。2、3、4、5の間には中間値が点 •でマークされていて、この中間点にも絞り値をセットする事ができます。プリセット機構がある標準レンズ『AUTO ROKKOR – PF 1:2 f=55mm』の絞りリングには〝 ロック解除ボタン 〟があります。
絞りリングは常にロックされた状態になっていて、絞り値を設定する回転操作は〝 ロック解除ボタン 〟を押し込みながら行うようになっています。
〈 minolta miniflex 〉に記されている『 OPTIPER CITIZEN 』というシャッターメーカー銘は、《 シチズン時計 株式会社 》製レンズシャッターの搭載銘としてアメリカ向けの製品に《 千代田光学精工 株式会社 》が用いていた『 OPTIPER 』を、『 CITIZEN 』銘に併記したものです。
《 シチズン時計 株式会社 》 製のレンズシャッターを 『 OPTIPER 』 銘で搭載した最初の製品は、1955年にアメリカ市場へ投入された 〈 Minolta ・A・ 〉 と 〈 Minolta AUTOCORD 〉 に遡ります。
〈 Minolta ・A・ 〉 は、レンジファインダーを搭載した 35㎜判のレンズシャッター機で、1954年にアメリカに進出した 《 千代田光学精工 株式会社 》 が、アメリカ市場に合わせた製品開発をする中で製造された製品です。
〈 Minolta AUTOCORD 〉 は 120フィルム使用の二眼レフ機で、同社のラインナップにあったモデルがアメリカへの投入に際して改良されたモデルです。
〈 Minolta ・A・ 〉 , 〈 Minolta AUTOCORD 〉、そして前者のスペックアップバージョンの 〈 Minolta ・A-2・ 〉 には、輸出用と国内向けとに『 OPTIPER 』 と『 CITIZEN 』 とを搭載シャッター銘に用いた製品が製造されていて、それぞれに種々のアップデートによるバリエーションがあります。
このサイトが紹介している 1958年3月発売の 〈 minolta auto wide 〉 は、オートマチック化された製品が好まれたアメリカ市場を意識して開発された製品でもあり、搭載シャッター銘は輸出用と国内向けとにそれぞれ 『 OPTIPER 』 と 『 CITIZEN 』 とが用いられて製造されています。
1958年3月発売
〈 minolta auto wide 〉
画像左
『 CITIZEN MVL 』画像右
『 OPTIPER MVL 』
同年4月発売の 〈 minolta V2 〉 は、レンズシャッター機では初となる 1/2000 (s)の最高速度を実現した製品です。搭載する 『 OPTIPER HS CITIZEN 』 シャッターは 《 千代田光学精工 株式会社 》 と 《 シチズン時計 株式会社 》 とが共同開発したもので、 『 OPTIPER 』 と 『 CITIZEN 』 を併記したスタイルのシャッター銘は輸出用と国内向けの製品で共に用いられています。
1958年4月発売
〈 minolta V2 〉『 OPTIPER HS CITIZEN 』
『 OPTIPER HS 』と『 CITIZEN 』の表記が前後に入れ替わって『 CITIZEN OPTIPER HS 』となっている製品があります。
この違いは製造工程での間違えなどではなく、シャッター銘の表記変更として行われているようです。
〈 minolta V2 〉の搭載シャッターが
表記銘を変えて製造されている事については– コラム –
の
項で、もう少し詳しく紹介しています同時に開発が進められた 〈 minolta auto wide 〉 と 〈 minolta V2 〉 は共に、 《 千代田光学精工 株式会社 》 が社外デザイナーを起用して製造した初めての製品で、そのデザインを担ったのはデザイングループの 《 KAK 》 でした。
このとき 《 KAK 》 はカメラ本体だけでなく製品に記されるロゴタイプのデザインも行なっている他、アクセサリー類からマニュアルなどの付属品やパッケージに至るまで、そこに記される文字記号のレタリングまでを含めた商品としての製品デザイン全体を行っています。
1958年に発売された両機種は《 千代田光学精工 株式会社 》 のアメリカ市場へのチャレンジを〝 世界初 〟の実現によって形にしたような製品になっています。両機種のデザインに
《 KAK 》
が携わる事になった背景については– コラム –
の
項で、もう少し詳しく紹介しています
1959年に 《 千代田光学精工 株式会社 》 が新製品として発売したレンズシャッター機は、 〈 minolta miniflex 〉 の他には 35㎜ 判のレンジファインダー機 〈 minolta A3 〉 があります。
『 OPTIPER CITIZEN MVL 』 を搭載シャッター銘として記しているのは、この両機種だけです。
《 千代田光学精工 株式会社 》 が 1959年に新製品として発売したレンズシャッター機は 〈 minolta A3 〉 と 〈 minolta miniflex 〉 の2機種です。
この両機種には、前年に発売された 〈 minolta auto wide 〉 と同じ 《 シチズン時計 株式会社 》 製のレンズシャッターが搭載されていますが、その搭載銘は違うものになっています。
〈 minolta auto wide 〉 では 『 OPTIPER 』 と 『 CITIZEN 』 がアメリカ向けと国内向けとで使い分けられていましたが、 〈 minolta A3 〉 と 〈 minolta miniflex 〉 には、その両方を併記したスタイルの 『 OPTIPER CITIZEN MVL 』 が搭載銘として用いられています。
後に 『 OPTIPER 』 銘が使用されなくなるまでの間に同じシャッターを搭載した製品が発売されていないため、搭載シャッター銘に 『 OPTIPER CITIZEN MVL 』 を記した製品はこの2機種だけとなっています。
〈 minolta A3 〉
については– コラム –
の
項で紹介しています
〈 minolta V2 〉,〈 minolta A3 〉 そして 〈 minolta miniflex 〉 の他にも、搭載シャッター銘に 『 OPTIPER 』 と 『 CITIZEN 』 の両方を記した製品があります。
1960年発売の 〈 minolta A5 〉,〈 minolta Uniomat 〉,〈 minolta V3 〉 、そして 1961年の 〈 minolta AL 〉 と 〈 minolta Uniomat II 〉 です。
〈 minolta A5 〉 は 〈 minolta A3 〉 のスペックアップバージョンとなる製品で、このモデルが搭載するシャッターは最高速度 1/1000 (s) を誇った 『 OPTIPER CITIZEN MLT 』 です。
1960年3月発売〈 minolta A5 〉
〈 minolta A5 〉の鏡筒に記されたシャッター銘
『 OPTIPER CITIZEN MLT 』
1960年3月発売〈 minolta A5 〉
〈 minolta A5 〉の鏡筒に記されたシャッター銘
『 OPTIPER CITIZEN MLT 』
そして 〈 minolta Uniomat 〉 が搭載するのは 《 千代田光学精工 株式会社 》 と 《 シチズン時計 株式会社 》 が共同開始したプログラム式シャッターで、 『 OPTIPER UNI CITIZEN 』 という銘のものです。
1960年5月発売〈 minolta Uniomat 〉
〈 minolta Uniomat 〉の鏡筒に記されたシャッター銘
『 OPTIPER UNI CITIZEN 』
1960年5月発売〈 minolta Uniomat 〉
〈 minolta Uniomat 〉の鏡筒に記されたシャッター銘
『 OPTIPER UNI CITIZEN 』
〈 minolta V3 〉 は 1958年発売の 〈 minolta V2 〉 がアップグレードされたモデルで、口径の大きい撮影レンズと非連動ながら露出計を内蔵し、シャッターの最高速度が 1/3000 (s) へと更に高速化しています。
シャッターは 〈 minolta V2 〉と同じ 『 OPTIPER HS CITIZEN 』 を搭載しています。
1960年5月発売
〈 minolta V3 〉
〈 minolta V3 〉の鏡筒に記されたシャッター銘
『 OPTIPER HS CITIZEN 』
1960年5月発売
〈 minolta V3 〉
〈 minolta V3 〉の鏡筒に記されたシャッター銘
『 OPTIPER HS CITIZEN 』
内蔵露出計にマニュアル操作で完全連動する 〈 minolta AL 〉 の搭載シャッターは、製品のベースとなった 〈 minolta A5 〉 と同じ 『 OPTIPER CITIZEN MLT 』 です。
1961年7月発売
〈 minolta AL 〉
〈 minolta AL 〉の鏡筒に記されたシャッター銘
『 OPTIPER CITIZEN MLT 』
1961年7月発売
〈 minolta AL 〉
〈 minolta AL 〉の鏡筒に記されたシャッター銘
『 OPTIPER CITIZEN MLT 』
〈 minolta Uniomat II 〉 は、同時発表の 〈 minolta HI-MATIC 〉 のデザインテイストに合わせて 〈 minolta Uniomat 〉 をデザイン変更したモデルで、搭載シャッターは 〈 minolta Uniomat 〉 と同じ 『 OPTIPER UNI CITIZEN 』 です。
1961年12月発売
〈 minolta Uniomat Ⅱ 〉
〈 minolta Uniomat II 〉の鏡筒に記されたシャッター銘
『 OPTIPER UNI CITIZEN 』
〈 minolta Uniomat Ⅱ 〉
〈 minolta Uniomat II 〉の鏡筒に記されたシャッター銘
『 OPTIPER UNI CITIZEN 』
1962 年3月に発売となった 〈 minolta HI-MATIC :ミノルタ ハイマチック 〉 の搭載シャッターには 『 OPTIPER 』 銘が記されていません。
この後に発売された 《 シチズン時計 株式会社 》 製のレンズシャッター搭載機には、1963年8月発売の 〈 minolta repo 〉と12月発売の 〈 minolta AL-2 〉 があり、さらに 1964年6月発売の 〈 minolta Uniomat Ⅲ 〉と9月発売の 〈 minoltina P 〉 と続きますが、そのいずれの製品にもシャッター銘に 『 OPTIPER 』 が用いられていません。
〈 minolta HI-MATIC 〉 は、 〈 minolta Uniomat 〉 のプログラム機構を 「 EE 」 化する事によって 「 完全自動露出 」 を初めて実現したモデルです。
搭載シャッターは、 〈 minolta Uniomat 〉 の 『 OPTIPER UNI CITIZEN 』 に EE 機構を組み込んで改良したものですが、そのシャッター銘は 『 CITIZEN UNI-E 』 というものになっています。
1962年3月発売
〈 minolta HI-MATIC 〉〈 minolta HI-MATIC 〉の鏡筒に記されたシャッター銘
『 CITIZEN UNI-E 』
〈 minolta AL-2 〉 は、共通の筐体構造をもつ 〈 minolta HI-MATIC 〉 のマニュアル操作版ともいえる製品で、ファインダー内での定点合致式のメーターと絞り値の確認を可能にしたモデルです。
この機種の搭載シャッター銘は 『 CITIZEN MVL 』 で、輸出用の製品にも 『 OPTIPER 』 銘は用いられていません。
1963年12月発売
〈 minolta AL-2 〉〈 minolta AL-2 〉の鏡筒に記されたシャッター銘
『 CITIZEN MVL 』
〈 minolta Uniomat Ⅲ 〉 は 〈 minolta Uniomat II 〉 の簡易型となる製品で、露出計の受光窓が撮影レンズを囲むリング状になっている事を特徴としたモデルです。
この〝 サークルアイ 〟と呼ばれることのある受光窓の方式は、レンズフィルターを使用する際の露出補正を必要としないメリットがあります。
操作上の機能は 〈 minolta Uniomat 〉 , 〈 minolta Uniomat II 〉 と変わりありませんが、シャッターは 『 CITIZEN UNI 』という銘のものを搭載しています。
『 CITIZEN UNI 』 の最高シャッター速度は 1/500 (s) で、前モデルまでが搭載した最速 1/1000 (s) を誇った 『 OPTIPER UNI CITIZEN 』 よりもシャッター速度が抑えられたスペックです。
1964年6月発売
〈 minolta Uniomat Ⅲ 〉〈 minoltina Uniomat Ⅲ 〉の鏡筒に記されたシャッター銘
『 CITIZEN UNI 』
ハーフサイズカメラの 〈 minolta repo 〉 と 広角 38㎜ の撮影レンズを搭載する 〈 minoltina P 〉 は、目測式の焦点合わせと 〈 minolta Uniomat 〉 シリーズと同様の 「 EVリング 」 による追針式の設定によって撮影を行う、小型軽量化されたスナップカメラです。
搭載するプログラム式シャッターは、最高速度が 1/250 (s) の 『 CITIZEN – L 』 という銘のものです。
画像右:1963年8月発売〈 minolta repo 〉
画像左:1964年9月発売 〈 minoltina P 〉〈 minoltina P 〉の鏡筒に記されたシャッター銘
( 画像はブラック仕上げの製品 )
『 CITIZEN – L 』
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『 OPTIPER 』 という銘は、進出したばかりのアメリカ市場に向けた製品を開発して商品化する上で、 《 千代田光学精工 株式会社 》 がマーケティング的な手段による現地戦略として 《 シチズン時計 株式会社 》 製のレンズシャッターに用いたメーカーブランドです。
搭載シャッターのメーカー銘を 『 OPTIPER 』 と記してアメリカ市場に投入された 〈 Minolta ・A・ 〉 は、モデル名そのものが現地の販売代理店によって付けられたものです。
アメリカ国内での製品販売とアフターサービスの提供にとどまらず、パッケージデザインから商品名に至るまで、製品を市場展開する上でのブランド化戦略が、販売契約を結んだ現地代理店のノウハウを得ながら構築されています。1955年から 《 千代田光学精工 株式会社 》 がアメリカ市場に向けて本格的に投入した 〈 Minolta ・A・ 〉 , 〈 Minolta AUTCORD 〉 そして 〈 Minolta ・A-2・ 〉 に記された 『 OPTIPER 』 銘は、その後 1958年発売の 〈 minolta auto wide 〉 が搭載した 『 OPTIPER MVL 』 までの各スペックの 《 シチズン時計 株式会社 》 製のレンズシャッターに、アメリカ市場で販売する際のシャッターメーカー銘として用いられています。
〈 minolta auto wide 〉 の翌月となる 1958年の4月に発売された 〈 minolta V2 〉 は 、 《 千代田光学精工 株式会社 》 と 《 シチズン時計 株式会社 》 が共同開発したシャッターを搭載して、1/2000 (s) の高速シャッターが切れる製品である事をうたって登場しました。
レンズシャッターとして最高速度 1/2000 (s) を初めて実現した 〈 minolta V2 〉 の搭載シャッターには、アメリカ向けの製品にも 『 CITIZEN 』 銘が記されました。
時計メーカーとしてアメリカへの製品輸出を始めていた 《 シチズン時計 株式会社 》 にとっても、知名度の低さと日本製品である事のネガティブなイメージがアメリカ進出における大きな壁となっていた状況は 《 千代田光学精工 株式会社 》 の場合と同じかそれ以上で、カメラ製品のスペックにおいて重要視されるシャッターの製造メーカーとして、製品にその名が記されて展開される事には意義がありました。
その搭載銘は 『 OPTIPER 』 と 『 CITIZEN 』 を併記したスタイルの 『 OPTIPER HS CITIZEN 』 というものになり、国内向けとアメリカ向けの製品の両方に用いられました。
この表記を契機として、以降は国内外の区別なく 『 OPTIPER 』 と 『 CITIZEN 』 が搭載シャッターの銘に併記されるようになり、 『 OPTIPER – CITIZEN 』 というシャッターメーカーブランドとして扱われました。
《 千代田光学精工 株式会社 》 が現地の代理店と販売契約を結んでアメリカへの進出を果たしたばかりの当時、アメリカでの製品販売に際しては販売代理店とメーカーとによる 「 DOUBLE GUARANTEE( ダブルギャランティー ) : 二重保証 」 を付して製品の信頼性を担保した事とも重なります。
これは、アメリカ国内での流通名には代理店のものを使用して、日本の製品である事を判りにくくする事を提案した代理店側と、これに対してあくまで自社名を冠して打って出ようとした《 千代田光学精工 株式会社 》との間で取り決めた、販売促進策としての保証でした。1962年に、 《 千代田光学精工 株式会社 》 は自社のカメラ製品のブランド名である 「 ミノルタ 」 を冠して、カメラメーカーである事を強くアピールする形となる 《 ミノルタカメラ 株式会社 》 へと、その社名を変更しています。
社名変更に伴って、製品に記されていた製造メーカーの表記がそれまでの 『 CHIYODA KOGAKU 』 から 『 MINOLTA CAMERA CO.,LTD. 』 へと変更される事になります。
そして、 1955年にアメリカ向けの 〈 Minolta ・A・ 〉 と 〈 Minolta AUTOCORD 〉 に記されて登場し、1958年の 〈 minolta V2 〉 以降は、 『 CITIZEN 』 と併せて搭載シャッター銘に記されていた 『 OPTIPER 』 は、このときを境にして製品に記されていません。
オートワイド12
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