《 minolta auto wide : ミノルタ オート ワイド 》は当時の 《 千代田光学精工 株式会社 》 と 《 有限会社 KAK 》 とのデザイン契約のもとに開発され 1958 年3月に発売されました。
《 千代田光学精工 》 にとって、外部デザイナーを起用して開発した「 初めて 」のカメラとなりました。
〈 minolta auto wide 〉 と 《 KAK 》を結び付けたのは、
『 露出計 』
でした。
《 KAK : カック 》 は 1951 年9月に3名のデザイナー 『 秋岡 芳夫 、金子 至 、河 潤之介 』 ( 敬称略、50音順 )が集まって結成されたデザイナーグループで、名称は3氏のアルファベット頭文字からつけられています。
露出計メーカー 《 成光電気工業 株式会社 》 の製品デザインなどを通して工業デザイン分野での実績を重ね、メンバーも増えた1956年4月には有限会社となり活躍の幅を拡げていきます。
《 成光電気工業 》 と長期的なデザイン契約を結んでいた 《 KAK 》 は、始めのうちは間接的に 《 千代田光学精工 》 の製品に関わっていく事になります。
カメラメーカーと露出計メーカーとの協力関係は、カメラに露出計を搭載する要求と共に深まり、設計とデザイン面の協力へと深化していく事なります。
1955 年10月に発売された〈 Minolta AUTOCORD L 型 〉は本体に露出計を内蔵した120filmを使用する6×6フォーマットの二眼レフカメラでした。
1957 年6月に登場した〈 MINOLTA SUPER . A . 〉はレンズ交換を可能にした〈 Minolta . A . 〉系統のカメラで、専用の露出計が用意されていました。
この2つのカメラの露出計は 《 成光電気工業 》 が受注したもので、そのデザインは 《 成光電気工業 》 と契約していた 《 KAK 》 が手掛けていました。
〈 Minolta AUTOCORD L 型 〉に 組み込まれた露出計 は、機能の面ではライトバリューを表示するメーターでした。
メーターで読んだライトバリューを、撮影設定に移し替えるための表記がシャッター速度と絞り操作のレバーにつけられていました。
〈 MINOLTA SUPER . A . 〉の 専用露出計 は、カメラ本体の上に露出計を乗るせ形で使用される『 クリップオンタイプ 』のもので、これは着脱が可能というだけの単体露出計ではなくカメラとの連動を実現していました。
それは、シャッター速度と絞りの両方の連動が〝 完全連動 〟だとすると、シャッター速度だけが連動する〝 半連動 〟のものでした。
〈 MINOLTA SUPER . A . 〉の大きな特徴はレンズ交換を可能にしている事ですが、アクセサリーの専用露出計による撮影設定が〝 半連動 〟する機能を備えていた事も特徴です。
そして、
本体に組み込んだ露出計に
撮影設定の操作を
〝 完全連動 〟させる試みが
〈 minolta auto wide 〉
でした。
〈 Minolta AUTOCORD L 型 〉 の組み込み露出計と 〈 MINOLTA SUPER . A . 〉 の専用露出計の製造では 《 KAK 》 と 《 千代田光学精工 》 は互いに 《 成光電気工業 》 の向こう側にある存在でした。
それが〈 minolta auto wide 〉の開発では、《 KAK 》 は 《 千代田光学精工 》 と直接の契約となり、2つのメーカーの間に位置する事になりました。
《 千代田光学精工 》 とデザイン契約を結んだ 《 KAK 》 は、〈 minolta auto wide 〉の企画の段階から携わったとされています。
既存の製品への組み込みを成立させる〈 Minolta AUTOCORD L 型 〉での内臓露出計のデザイン、そしてアクセサリーのみのデザインだった〈 MINOLTA SUPER . A . 〉の専用露出計では叶えられなかった、カメラ全体のデザイン的な アプローチ が翌年の〈 minolta auto wide 〉の試みによって 実現 する事になります。
《 KAK 》 が〈 minolta auto wide 〉のデザインを担うことは、カメラに露出計を使った新しい機能を持つ製品の開発を目指した 《 千代田光学精工 》 と、その露出計を供給する協力メーカーである 《 成光電気工業 》 の、それまでに関係して取り組んできた製品開発の延長としてみると、むしろ〝 必然 〟であったかのようにも思えます。
その仕事は製品に記されるブランド名の ロゴタイプ やダイヤル文字のレタリング、アクセサリーなどにまで及ぶものでした。
そして、〈 minolta auto wide 〉の 翌月 となる1958年4月に、《 千代田光学精工 》 が世界初を試みて開発したもう一つのカメラが発売されます。
〈 minolta V2 〉は高速のシャッタースピードで撮影出来るカメラとして開発され、高速化の難しいレンズシャッターで当時の世界最速となる 1/2000(秒)を実現したカメラでした。
そしてこの〈 minolta V2 〉の デザイン を手掛ける事になったのも 《 KAK 》 でした。
《 千代田光学精工 》 が世界初を試みて製造した〈 minolta auto wide 〉そして〈 minolta V2 〉という2つのカメラは 《 KAK 》 にそのデザインを託されたのでした。
《 KAK 》 がデザインして〈 minolta auto wide 〉に記された製品名のロゴタイプは、〈 minolta V2 〉はもちろんの事、その後に発売される他の製品にも記されていきます。
《 KAK 》 はこの2つのカメラの他にも、これ以降いくつもの 《 千代田光学精工 》 の製品デザインに関わっていく事になります。
そして後の、 1962 年7月に 《 千代田光学精工 株式会社 》 は、製品のブランド名を冠した 《 ミノルタカメラ 株式会社 》 に商号を変更します。
このとき、社名のブランドロゴ は 《 KAK 》 がデザインしたものになります。
1978 年に 《 ミノルタカメラ 株式会社 》 は創業50周年を迎えた事を機に、海外のデザイナーを起用してブランドロゴを一新します。
それは 〈 C.I.( コーポレート アイデンティティ )デザイン 〉の考えを基に、アメリカのグラフィックデザイナー〈 Saul Bass : ソール・バス 〉との契約によって作られたものでした。
この新しいロゴは1981 年から導入されて、製品に記されるようになります。
〈 コーポレート アイデンティティ 〉を表わすシンボルマークとして、その意味がデザインの中に込められて作られた新しいロゴマークとロゴタイプは、たいへんに素晴らしいものになった事は間違いありません。
それでもなお 《 KAK 》 がデザインして《 minolta auto wide 》に初めて記され、その後も長く製品に記され続けたロゴタイプには、なにか特別な存在感があるように思います。
それは 《 千代田光学精工 》 そして 《 ミノルタカメラ 》 によって創り出された数々の製品が持っていた〈 アイデンティティ 〉を、図らずも示すものになっていたから、なのかも知れません。
2017.3.20 オートワイド12
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